2020年春。緊急事態宣言の中、また支えられたのが小豆島という環境です。
きっと私たちだけでなく島の中にはそんな人がとっても多いはず。
山へ登り、海へ出て、釣りをしたり、キャンプをしたり、後にも先にもこんなに島にGWはないんじゃないかと思うくらい(何度もあっては困る)、密とならず島の春をたのしみました。
そもそも小豆島に辿り着いたのは、ここで飲みたい!飲んだらうまいに違いない!場所がたくさんあったから。醸造所ももちろんですが、海での一杯、山での一杯。まだまだビールとともに訪れたい場所があります。
今でこそ地方や離島でのブルワリーも珍しくなくなったけれど、夫がクラフトビール(当時の地ビール)に目覚めた20代前半から全国を飲み歩いた以降10年位(2000年代)は、地方にこのクラスのちいさなブルワリー・TAPルーム付きという場所は多くありませんでした。実際のところ、当時地ビール・海外の豊富な種類のビールの多くを飲めたのは、大阪市内など都会の洒落た専門のバーやお店でした。
(↑こういう、欲しい場所に地ビールはなかった、立ち飲み天国)
同時に私は20代後半、結婚するまでを瀬戸内の犬島で勤め、船で5分海向いの宝伝という港町で暮らしていました。今よりもっと海が近くて、漁師さんと農家さんが混在する坂手よりずっとちいさなまち。少なくともそこには移住などという言葉がない時代。扉を開けたら目の前は海、帰宅すると道路では魚を捌くおばあちゃん達と、その痕を狙う猫達が待っていて、扉にはどでかい野菜が入った袋、ひとりで鍋いっぱいの渡り蟹や魚をいただくことが茶飯事。何もなければ家の前に出て竿を海に垂らし、めばるやいかを待つ。というこの上なくしあわせな暮らしをしていました。
(↑家の近く、海老干し網)
ただひとつ。ここにおいしいお酒があればなー!が心の口癖。その頃は車も持たず、通販という頭もなく、美味い酒はたまに出る市街地でしか口にできないものでした。
夫とも山、海、地方を旅することが多かったけれど、とにかく自分達が今ほしい!のポイントではなかなか地ビールに巡り合うことができませんでした。
そんなことが重なり、いざブルワリーを開こうか!という時には「うまい景色・うまいものがある場所(←うまい魚、うまい野菜)」が必須条件として根底にできあがっていました。ちょうど大阪で子育てをはじめ「隣人の顔もわからん場所で暮らし続けられへんなー」というタイミングでもあったし、学生時代からその頃まで私の頭の中は、「地方を、日本の美しい地域(考え抜いた美しいの定義を語り出すと長くなるけれど…)を残したい!」という気持ちでいつも占められていて、ビールという政治や社会と無縁のような酔っ払いツールを通して、交流人口や地域産業にアプローチしたいということも根本として語り合ってきていました。その頃なんてまだビールもつくれなかったのに、文化としてのクラフトビールの無限の可能性を確信していたのです。
そこから先は流れるまま小豆島に至ります。
最初は大阪の近場から、関西圏、淡路島、色々と足を運んだけれど、結局ピンと来たのが土地の縁も、人の縁もある小豆島であり坂手でした。私にとっては、犬島・宝伝から毎日みていた大陸、何度も通った場所。すきなことはわかりきっていたので、小豆島については訪問するのも、決断もすべて夫に委ねました。「小豆島にしよ!」結論を言い出すまではすぐでした。
島にきて5年。今は醸造所兼自宅に自然あり、猫が歩き、鳥のさえずりが聞こえ、山と海に囲まれ、毎日それだけで大満足。満足中枢が満たされてしまって、島をうろうろする頻度も比較的少ない私たち。だけど長い目で足を運びたい場所がまだまだたくさんあります。ビールとともに!